雑記㉓

原爆の話

前回私は、父から原爆の体験談を聞けなかったことを悔やんでいると申し上げました。

今回は、母が父から聞いた原爆の話をつなげてお話ししたいと思います。思い出しながら、いくつかの疑問が湧き、直接聞きたかったと今更ながら後悔しています。

父は長崎三菱造船所で働きながら学校を卒業、そのまま工員として働いていました。軍需産業で栄えた造船所は、戦争末期になると、まともな兵器を作る余力などなく、海の特攻隊、人間魚雷を作っていたそうです。(このあたりの話を詳しく聞きたかった)

それでも造船所の中は、労働力不足を補うために駆り出された学徒動員の学生であふれていました。地下の工場でで働く学生たちの監督が父の仕事だったようです。

原爆投下時、父はたまたまタバコを吸いに一階に上がっていました。廊下の角を曲がっているときに被爆したそうです。

爆心地から近い場所ですので、その爆風と熱風にさらされ、体が二回くるっくるっと回転したのまで覚えているそうです。

その直後壁に激突!気絶してしまいました。目を覚ますとがれきの中、学生たちが働いていた地下の工場は埋もれてしまっていたそうです。

火の手があちこちで上がり、造船所を出た父は、その当時住んでいた下宿に向かいました。

この時の悲惨な光景が、父の口を閉ざしたのだと思います。私には一切何も語ってくれませんでした。

下宿も焼けてしまっており、何も残っていなかったそうです。唯一自分のものだと確認できたのは、練習に励んでいた剣道の面の金属部分だけが残っていたそうです。

その後、父は線路沿いに歩いて長崎から熊本の家まで戻ってきました。すぐ下の弟も長崎にいて、父を探し回っていたのを後で知ったそうです。