キリスト教と私⑥
今回は、K先生からお聞きしたお話です。
K先生は、鹿児島で生まれ幼少のころ、お父様が天草のお寺を継ぐことになり、天草に来られました。
戦後の物のない中、貧乏で苦しまれたそうです。学校へ通うにも給食費が払えない。たまにお金があっても弟や妹の分に回される…。昼は校庭の片隅で過ごす毎日だったそうです。
ある日、先生から「お前のうちはお寺なのに、どうしてそんなに貧乏なのか?」と尋ねられたことがあったそうです。
以前の記事で、島原・天草の乱の後、天草に多くの曹洞宗のお寺が建てられた話をしました。目的は、キリシタンの改宗です。
小さな島にたくさんのお寺、ここに無理がありました。一つのお寺が抱える檀家の数が少なくて、そこからのお布施だけでは食べていけないわけです。そこで、幕府はお寺の周りの田畑をお寺の私有地としてそこからの収穫を与えることで、お寺の経営を成り立たせたわけです。
時は流れて、終戦後。農地改革が行われました。これによって多くの小作農が自作農に変わったわけですが、お寺は周りの農地を取り上げられた形になり、貧窮してしまったのです。
先生のお寺もこの影響で、貧乏生活を余儀なくされました。
その後もご苦労は続き、高校卒業後、大阪の公立大学の夜間を卒業されて教職に就かれました。
歴史上の出来事が、複雑に絡み合い人の人生を大きく変えることを知るとともに、その波にもまれながら強く生きた人のすごさを感じます。
私なんか、のうのうと生きてきただけの薄っぺらい人生で、とても恥ずかしいです…。