キリスト教と私②

その後小学4年生になるとき、島原を離れて熊本の三角という小さな港町に引っ越しました。

天草パールラインという五つの橋ができ、まだ観光客が多く押し寄せていたころです。その五橋が始まる町です。

中学の頃でした。私は先輩に連れられて自転車で、その一号橋を渡りました。橋の向こうはもう大矢野島(天草)です。

剣道部だった私は、一つ上の先輩とよく行動を一緒にしていました。丁稚、いや子分、そんな関係だったかもしれません。

そんな先輩に連れていかれたのは、キリシタン公園でした。今は「天草四郎ミュージアム」として綺麗に整備されています。

その小高い丘に登ると、石碑や墓碑が並んでいました。すると先輩は、その石碑群の中にあったお地蔵さまを動かし始めたのです。何をしてるのか分かりませんでした。地蔵さまを横に置き、先輩は隠れていた土台を指さしました。私は「エッ!」と思わず声が出ました。

お地蔵さまが立っていらしたその真下にクルス(十字)が鮮明に彫ってあったのです。

お地蔵さまと見えたのは、信者にはマリア像だったのかもしれません。どこから移設されてきたのか分かりませんが、野辺にあったであろうお地蔵様を、毎日拝みお供えをする信者の姿が頭に浮かびました。

話でしか知らなかった「隠れキリシタン」存在を実感した瞬間でした。

その後、それほど大切に保存されていなかったせいか、20年ほど前まで確認できたクルスは、風化とともに見えなくなってしまいました。

それからキリスト教に少し興味を持ち始めました。私の両親は、どちらも天草の出身だったのです。