楕円球の思い出!⑦

慢心!

こんな感じでした
私は物事がうまく回りだすと、安心して、調子に乗ってしまうようです。今までひどい目に会いながら懲りずに繰り返しています。

それは、ラグビーを初めて一年以上たち、体力もつき無駄な動きも少なくなくなってきた頃でした。

秋のリーグ戦、我がチームは連勝を続けていました。その日は大阪城グラウンドでO大学との試合でした。前半を終わり、大差をつけていた我がチームが楽勝ムードの中、後半が始まりました。

敵陣深くまで持ち込んだボールを味方が落としてしまい、敵に拾われました。私の5メートルぐらい先を走り抜けて行く敵!「やばい!」私はすぐさま追走しました。その差が4メートル、3メートルと近づきました。2メートル!あともう少し!私は、地面を大きくけり真後ろからタックルにいったのでした。

無残にも、私の手は相手の腰をかすめ、そのまま地面に…

痛みも何も感じませんでした。生暖かいものが左ほほをつたっているだけでした。試合は一時中断し、レフリーが私に駆け寄ってきました。私は大丈夫だと身振りで示しましたが、レフリーは大きく手を交差させてバッテンを作ると、マネージャーが走ってきました。

ラグビーのスパイクには、今も一般的にアルミポイントが使われています。このスパイクの底から飛び出した2センチ弱の鋲によって、踏ん張りがきき、速く走れるわけです。

私のタックルはすっぽ抜け、崩れ落ちるときに相手選手の蹴りあげた足の裏のポイントが、左ほほをかすめたのでした。

携帯電話などないその頃、マネージャーは休日診療の病院を探し、私を連れて行ってくれました。診ていただいた医師は、「細い糸がないからごめんね!跡が残るかもしれないね!」と言いつつ、裂けた私の左ほほを奥と外合わせて16針、縫ってくださったのでした。

それからは、しばらく口が開かず、学食のスパゲティを一本ずつすする日々が続きました。

傷については、ヤクザ者ではありませんが、逆に箔が付いたみたいで何とも思いませんでした。唯一、冬に帰省した際に両親に見せるのだけが、恥ずかしくも申し訳なくもあり、躊躇したのを憶えています。

その時私についたあだ名が「カモノハシ○○」口が裂けた私に似てるとつけてくれました。(実際は裂けていません、ほほがめくれてギザギザに切れただけです⁉)今なら、人気が出てきたバットマンの「ジョーカー○○」と呼ばれるのかもしれません!!!

題名通り、無理した結果です。過信した結果です。あとで思えば簡単に分かることが、その時は思いもしない!そんなことをみんな繰り返しているのかもしれませんね!